平成最後は遙かなる笈ヶ岳へ

笈ヶ岳は、加賀の霊峰白山の北に位置し、岐阜県と石川県・富山県の県境に在る雪の時期にしか登れない山である。今回は、目標を持つ大切さを痛感した。私は、膝を痛めていたので参加に迷いがあったが、実施までトレーニング山行を組んで、参加できるようにした。


■期日:2019年4月27日(土)発~4月30日(火)  ■形態:残雪期縦走テント泊

■山域:北陸     ■装備:雪山テント泊一式 ピッケル アイゼン ストック

■天候:27日移動日(曇り)、 28日(晴れ)、 29日(高曇り夜雨)、 30日(晴れ)

■メンバー:L=EM SL=KH AM MK(会員外) KK NN 6名

■ルート&コースタイム

27日(土):東所沢駅9:00集合、車2台で移動。現地スーパーで食糧など購入、道の駅瀬女(せな)で車中およびテント泊

28日(日):7:00道の駅→8:15駐車場P1…中宮発電所貯水池…13:00山毛欅尾(ぶなお)山(▲1365m)…16:40冬瓜平(かもうりたいら)手前の尾根でテント泊<所要時間約8時間>

29日(月):8:05テント…10:30冬瓜山10:50~11:20シリタカ山…13:10笈ヶ岳13:35…トラバース…尾根合流地17:00…18:00テント場 <所要時間約10時間>

30日(火):5:25テント場…8:15山毛欅尾山…中宮発電所貯水池…11:35駐車場<所要時間:約5時間>

比咩の湯(ひめのゆ)石川県白山市瀬戸辰3-1金沢工業大学キャンパス内 500円で入浴、途中で食事後、帰京。目黒の自宅へは平成中の午後11:55分に到着。

■食事計画(共同分) 4/27夜 各自 4/28朝 各自 4/28夜スペシャル手巻き寿司

4/29朝 デラックスおうどん    4/29(月)夜 天下のアヒージョ         4/30朝 ウルトラアヒージョスープ  (連日の酒宴に酔いしれた)


28日=初日は、車の移動で終わり、翌28日重荷を背負って駐車場を出発。発電所の導水管脇の急な石段を延々と登り、大汗をかく。土合駅の階段がかわいく思えるほど…。そこから、踏み跡もどきの登山道を進むと、急斜面の登山道の右左が一面のカタクリの花であった。

<石段は何処までも続いた>

<見事なブナの木>

<朝露で濡れるカタクリ>

<雪が着いているブナ林で休む>

ブナ林の平らな所で休憩、更に登るとところどころヤブも出てきて、重荷やピッケルなどが引っかかり難儀した。毛欅尾山まで登りつくと、白山や目指す笈ヶ岳が見え出す。起伏がある尾根を辿り、まだかまだかと思う頃、日本海が見える尾根でテント場を探して設営。毛欅尾山日帰りの三重県のパーティーの他、テントは他に3パーティーが入山していた模様。

<毛欅尾山で>

<白く輝く白山>

<快適なテント場>

 29日=今日は、笈ヶ岳ピストンだけなので、出足が遅かったが、遠距離の運転や前日の睡眠不足を考えると無理はできない。私たちの先にテントが2張あり、トレースもあったので、ルートが分かり助かった。全員初見の山であるので、方向を確認したり、岩場を巻いたりしながら進んだ。シリタカ山手前で、茨城県から来た男性2人パーティーとすれ違い『まだまだ上り下りがあるよ』と教えてくれた。その後で、別のすでに登頂して戻ってきた単独の男性が、登ってきた尾根伝いのルートでなく、斜面をトラバースしてどんどん下ってゆくのが見えた。私達もできれば、このトラバースで戻りたいと考えていた。アイゼンは、途中で装着した。

<岩場通過>

<岩場を巻く>

<冬瓜平を行く>

<山頂は後ろの左の黒い尖った所>

もうすぐ山頂だと思ったら、手前のピークであったので、がっかりしつつ進むと、ボロボロになった木の標識のある笈ヶ岳に着いた。眺めもさることながら、積雪期でないと登ることができないこの山に登れて本当に嬉しかった。

<やっと到着笈ヶ岳山頂>

下りのテント場まで、今度は延々とトラバースが続き、時に崩れたり、ヤブに入ったり、ルートを確認しつつ進んだ。長い長いトラバースをして、どうにか登りで使った尾根に合流、トレースもバッチリ出てきたが、私が別のルートからのトレースに引き込まれてしまい、少し戻って私たちのテントにどうにか無事帰還できた。

<寄生木も沢山あった>

<長い長いトラバースが続く>

30日=夜半から雨が強かったが、朝方は小やみになった。天気の回復が早まったようである。雪が無くなったりして様変わりしたルートを引き返した。初日の上りはアイゼンは付けなかったが、下りは安全のため付けた。下部のヤブで2回程ルート探しをしたので、赤布は必要である。ヘトヘトになって駐車場に着いた時は、何もしたくはなかったが、長い帰還道中を考えて、暑い中荷物を整理して帰途に就いた。運転手に感謝である。

どうにか家に着いたのは、平成最後の4月30日午後11時55分であった。3日間素晴らしい山行で、私は膝が万全でなかったが、雪山ゆえ反発が大きくなかったので、どうにか歩き通すことができたと思う。地元の方は日がえりでピストンも可能であるが、私には憧れの山であったので、苦しくても幸せな3日間であった。

アイキャッチ画像:点々と続いていた熊の足跡